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2015年1月 4日 (日)

チャールストンのあれこれ

1月3日のニューヨークは朝から曇り。午後から雨が降り始め、夜には所により大雨になる予報ですので、用事は早めに済ませるが吉です。

アメリカは12月31日まで(多くの場合半日)仕事があり、1月2日から通常通り仕事があります。が、今年は1月3日が土曜日という絶好の日取りのため、中日である1月2日も休みにしているオフィスも多く。アメリカにしては珍しく正月休みが4連休の人が多いようです。

そのためか、いつにもまして街中が観光客や休みを楽しむ地元の人達で混雑しているように感じます。夫は大晦日に有給休暇を取得したので、なんと年末年始で5連休。今までは1月1日しか休んでいなかったので、アメリカに来てからこんなにお正月にのんびりしたのは初めてです。

残念ながら明日はオフィスに出て出張準備に追われるようですが、久しぶりに顔色がよくなってきた夫を見て一安心。何故か正月早々風邪を引いていた私も今日から復活したので、早速家事を片付けています。

それにしてもあんなに掃除してたのに、正月2日家でのんびりしただけで、もう既に家じゅう埃だらけ。こちらで暮らす日本人の女性とも話していたのですが、なんでニューヨークのアパートってこんなにも直ぐ埃があちこちに溜まったり、水回りが汚れてしまうのでしょうか?日本のアパートが上手く出来ていた事を、こちらに来て痛感しました。
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さて、なんだか前後して申し訳ありませんが、今回はサウルカロライナ州チャールストン(Charleston)の町の特徴などのご紹介です。
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チャールストンは、イギリス王チャールス2世が国民にご褒美として分け与えた土地。イギリスを3隻の船で出発したイギリス国民の内、無事辿り着いたのは一隻のみだったそう。

命からがら辿り着いたら人が住むには難しい湿地帯。仕方なく1670年から10年間は少し内陸の土地に町を仮建設し、現在のチャールストンに建設する町の設計を念入りに計画したのだとか。

1680年に現在の場所に計画通りに町を建て。高潮等の水、海賊から町を守るために壁でぐるりと周りを囲ったそうです。その町は四方を川や海に囲まれ、天然の要塞の様だったそう。
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現在のチャールストンの町を歩いていると、マンハッタンの様に綺麗な碁盤の目になっているのですが、所々曲がりくねった細い道が表れます。これらの殆どは昔川だった場所を埋め立てて造った道だからなのだそう。

南北戦争で敗北して奴隷制度が禁止されるまで、チャールストンは全米屈指の富める都市でした。そんな歴史が色濃く残る素敵な街を今回はご紹介します。
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町を建設してから数年経つと、交易が盛んになり、人口も増え、街が手狭に。それ故に湿地帯を埋め立て、壁を壊して、内陸へ内陸へと拡張していったそうです。聖なる都市と言われる程多い教会も、一緒に内陸へ移動。その際に、St. Philip's Churchは町の区画を無視。やりたい放題だったようで、現在でも道の真ん中に建っています。

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チャールストンの町では、パイナップルのモチーフが頻繁に用いられています。それはパイナップルが南部のもてなしの心の象徴だから。

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なんでも昔チャールストンの船乗り達はカリブ海への仕事から帰る際にパイナップルを持ち帰り、自身が無事帰宅した印として玄関前のフェンスに刺したのだとか。そのパイナップルを見て家主の無事を祝いに集まった人達にご馳走を振舞ったことから、歓迎のシンボルとなったという説があるそう。

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彼方此方のお宅の入り口の両脇にパイナップルが見られます。沖縄だったらシーサーが居る位置に、パイナップル(やフルーツボール)が鎮座している訳です。

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1776年のイギリスによるチャールストン攻撃(独立戦争)の際、チャールストンには石材がないためヤシの木と泥&砂で俄仕込みの砦を建設。イギリス軍の砲弾の前にひとたまりもないであろうと考えられていたにも関わらず、ヤシ材は意外にも強く砲撃に耐えたそう。

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その為、現在でもヤシの木はチャールストンの人達に大切にされているそう。サウスカロライナ州旗が青地に白で染め抜かれたヤシの木と三日月であるのも、この戦いに勝利したことに由来します。チャールストンでは、アメリカ国旗よりも州旗とアメリカ連合国(南軍)の旗『スターズ・アンド・バーズ』の方が頻繁に見られます。

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チャールストンには石材が無かったため、多くの家は木と漆喰で建てられましたが、石の建物に憧れがあり。家の四隅を煉瓦の様に作り、漆喰に線を付けてあたかも石で作られているかのように見せていたそう。歴史ある建物には多くこの手法が見られます。

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が、公の建物には公金を惜しみなく使える為、大理石等を運び入れて玄関回りだけでも豪華に作ったのだとか。いつの世も公共工事は豪華になりがちなのですね。

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その違いが顕著に表れるのが、4つの違う法が交差点に集まっている、ミーティング通りとブロード通りの交差点『The Four Corners of Law』。教会(神の法)、郵便局(連邦法)、市役所(民法)および裁判所(州法)が一堂に会しています。
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チャールストンには石が全くなかったにも関わらず、石畳の道があるのは何故か?チャールストンの町を建設していた頃は交易が盛んで、港には数多の船舶が停泊していたそう。

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やってくる船は安定した航行の為に沢山の石や石板を船底に積んで訪れ、チャールストンで重しを捨て、代わりに綿花、米、藍(インディゴ)を積んで帰ったそう。その捨てられた石や石板をリサイクルして、石畳を作った為に沢山の石畳の道があるとの事。

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チャールストンではイギリスの様に頑丈な煉瓦を作る技術がなかったそうで、地元で作られた煉瓦が使われている個人宅をよく見ると、穴が開いていてぼこぼこしています。

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それに対し、歩道に使われている煉瓦はよく焼き締められていて、頑丈そうで綺麗。これは町を守るために建てられた壁を町の拡張の為に壊した際に、壁に使われていたレンガをリサイクルして歩道に敷き詰めたから。壁は公共事業だったので、レンガをわざわざイギリスから輸入して作ったとの事。ここでも民間VS公共事業のお金の使われ方の違いが顕著です。

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チャールストンでは歴史的建造物を保護するために、廃墟の壁も残されています。廃墟跡は多くの場合煉瓦の壁に囲まれた駐車場か公園になっています。

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煙突の上にマクドナルドのマークのようなアーチがあるのもチャールストン建築の特徴。

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1886年マグニチュード7.5の地震がチャールストンを襲い甚大な被害が出ました。そのせいで地震前に建てられた古い建物には補強&修理のために鉄の棒が通されました。壁に鉄の棒を止めた金具がついている建物は、地震前からある古い建物の目印。

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