2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« ユニオンスクエア前のアジアン・フュージョン | トップページ | 紀州みかん »

2016年2月28日 (日)

映画『シラノ・ド・ベルジュラック』

快晴の土曜日のニューヨーク。今日は1日晴れて、最高気温は6℃。最低気温も2℃と、冬らしくも過ごし易い1日になりそうです。

今朝WEBマガジンの『Gothamist』を読んでいたら、生まれながらのニューヨーカーに質問しよう!コーナー(Ask A Native New Yorker)に「地下鉄の駅でベビーカーを持って困っている親が居たら手を貸すべきですか?」という質問が寄せられていました。質問者は「助けてあげるべきだと思う反面、自分は子供がいないのでベビーカーの構造がよく解っておらず。何かの拍子にベビーカーが閉じたりして子供に怪我をさせたり、子供を階段に投げ出したりしてしまうのでは?と思うと怖くて二の足を踏んでしまいます。またニューヨークの多くの地下鉄駅にはエレベーターもエスカレーターも無いことを十分理解した上で親御さんだって子供を連れて移動している筈。であるならば、手助けしなくてもいいのでは?とも考えてしまう」というお悩みを抱えていました。

回答はシンプルで、「いつでも何かお手伝いしましょうか?と声を掛けましょう。でも断られることもよくあるので、気にしないこと」というもの。実際、乗り物酔いが酷いし、お金も勿体ないし、マンハッタンは散歩が楽しい土地なので、地下鉄を利用する機会が極端に少ない私でも、ちょくちょく階段の下でガサゴソしているベビーカーの親御さんと遭遇します。ニューヨークの地下鉄駅は、本当にエレベーターやエスカレーターが少ないのです。

その際、先ず片親か両親揃っているかを確認し。ご両親が揃っていれば声を掛けません。片親の場合、様子を見て声を掛けるようにしています。大抵の場合、「大丈夫です。1人で登れます」と手助けを断られます。しかし「ありがとうございます。手を貸していただけますか?」と言われた場合でも、殆どの場合はその会話を聞いていた近くを通り掛った男性が代わりに荷物を運んでくれました。

そんな訳で、6年間住んで実際にベビーカーを運んで階段を登った/降りたのは2回だけです。親御さんが男性のみの場合はほぼ100%断られましたし。女性も多くの場合は一人で何とかできると断ります。まぁ、実際一人で何とかできなければ周りに誰も居ない時困るので、何とかできる範囲の荷物で移動されているのでしょう。

でも実際手助けしようとすると、殆どの場合近くの男性が「私がやりますよ」と言ってくれるのが、腰が悪くて中腰での作業が全く向かない私には心底有難く。普段はあまりレディー・ファースト文化を嬉しく思っていないのですが、身体的な部分では違いがある事は否めない訳で。肉体的に弱い部分で騎士道精神を発揮してもらうのは有難いものだと痛感しています。

『Gothamist』の記事では、実際にお子さん連れで地下鉄で移動しなければならない親御さんに向けてのアドバイスも載せられていますので、参考までにご一読されてはいかがでしょうか。
********************************************************
さて、今回は先日鑑賞した映画『シラノ・ド・ベルジュラック』(Cyrano de Bergerac)の感想です。
008
映画は好きなものの全然通でもなければ、知識もない私。この1990年に映画化され数多の賞を取った有名らしい映画も知りませんでした。それを言うならば、原作であるエドモン・ロスタン作の五幕の韻文戯曲も全く知識がありませんでした。

毎週火曜日にFrench Institute Alliance Française (FIAF)で上映されるフランス映画/フランス人監督による映画を、フランス語に触れる為とフランス語圏の文化を学ぶためになるべく鑑賞するようにしているものの。それだけでなく、今週の『シラノ・ド・ベルジュラック』は特に観たいと楽しみにしていました。
019
その理由は、以前お世話になっていた先生が私がきっと好きであろうと勧めてくださった映画だったため。いつか観たいと思い続けていたのですが、無制限に映画を観て自堕落な生活をしてしまいそうで怖いし、お金も勿体ないのでNetflixに入っていない状態では観る目途も立たず。半ば諦めていたところでの上映だったのです。

映画は17世紀フランスに実在した剣豪作家、シラノ・ド・ベルジュラックの恋の物語。シラノは類を見ない剣豪であるにも関わらず、とてもロマンチストで言葉が巧み。美しい詩文を生み出していましたが、驚くほど鼻が大きく自分の醜さを非常にコンプレックスに思っていたという設定になっています。
022
彼は従妹のロクサーヌに恋をしているのですが、ロクサーヌから自身の部隊にいる剣士に恋をしていると打ち明けられてしまいます。ロクサーヌが恋する剣士、クリスチャンはとってもハンサム。彼もまた劇場で見掛けたロクサーヌに一目ぼれしていたのですが、彼は朴訥なタイプで口下手。洗練され教養高いロクサーヌが望むように恋を囁くことなどできません。

そこでシラノが一肌脱ぎ、愛するロクサーヌが幸せになるためにクリスチャンの恋文の代筆を始めます。ロクサーヌは、美しく情熱的な恋文にメロメロ。言い寄る伯爵等を退け、クリスチャンとの結婚式を強行突破して結ばれてしまいます。
046
それに激怒した伯爵は、シラノの部隊を激戦地に送り込み。クリスチャンは差し入れに訪れていたロクサーヌの腕の中で戦死してしまいます。死に際、クリスチャンは「ロクサーヌは僕の心のみを愛していると誓った。どんなに醜くとも、僕の魂を愛しているって。それはすなわち、彼女はシラノを愛しているという事だ。彼女は僕を愛してなんかいない。」と言い残し、絶望の内に命を落とし。

シラノはシラノで、勇気を出しさえすれば。自分の溢れんばかりの恋心を真っ向面からロクサーヌに伝えていれば、どんなに醜い自分でも高潔な魂を持ったロクサーヌは自分を愛してくれたのかもという可能性に気付きながら。結局はその勇気を持てなかった自分だからこそ、愛されなかったのだという苦い現実を受け入れ。死してもなお、唯一の愛すべき伴侶としてクリスチャンを修道院で想いつづけるロクサーヌを見守り続ける。そんな美しくも悲しい物語でした。
045
筋書だけ聞くと、いかにも遠い昔に書かれた戯曲っぽいのですが。全編にちりばめられた詩がとても美しく、主演男優であるジェラール・ドパルデュー氏の好演と相まってとても楽しめました。もしもフランス語が理解できたらその美しさを堪能できたろうにと、流れるような台詞の音を聞くだけでも分かり、その点は少し残念でしたが。

映画鑑賞後、「この映画を観るのは2回目だけれど、観てから随分と時間が経ってるから初めて観たように感動したわ。」、「私もよ。以前観た時に凄く感動したのを覚えていたので、今日観るのを楽しみにしていたのだけれど、期待を裏切らない映画よね。詩の美しさったら!」、「他の映画化も観たけれど、私はこっちの新しいバージョンの方が好きなの。」とか口々に言い合ってる方がいらっしゃって、人気の映画だったことが伺えました。
005
とても素敵な映画なので、機会があれば是非。

« ユニオンスクエア前のアジアン・フュージョン | トップページ | 紀州みかん »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 映画『シラノ・ド・ベルジュラック』:

« ユニオンスクエア前のアジアン・フュージョン | トップページ | 紀州みかん »